8月21日(徳島県池田町→愛媛県内子町)

 起きたのは6時半頃だった。しばらくはすぐ脇の阿波池田駅の気動車を眺めていたが出発の準備をした。公園を出て192号線に戻った。阿波池田から愛媛県の川之江駅までは少し前まではJRバスが走っており、なぜか大学の入学手続きの帰りに利用したことがある・・・。そのときに山間部ばかり走っていたような気がするので朝から気合いを入れて行くことにした。今ではJRバスは廃止となり愛媛県のバス会社せとうち運輸がわずかに走っているだけとなっている・・・。

 池田の市街地を抜け国道に合流した。覚悟したほど急ではないが、永遠と上り坂が続いている、しかし交通量が少なく走るのはそれほど苦痛でない。一時間ほどで県境の少し眺めのトンネルを抜け愛媛県に入った。いよいよ地元に帰って来たという思いが強くなり、しかも下り坂がずっと続いているのでスピードを上げてしまう。

 川之江市の市街地に入る前にバイパスに入り、伊予三島市より国道11号線に入った。2車線ながらかなり交通量が多く歩道が狭く未整備の所が多く走りにくい・・・・。川之江市から40キロほど走った西条市内を走っていた時だった。突然、バキッ、っというイヤな音がしたあと後ろのタイヤのあたりからカタカタカタという音が聞こえてきた。木でも巻き込んだのかと思い、すぐに自転車を降り後輪を見てみたが特に問題はなさそうだったのでまた走った。しかしカタカタカタという音は鳴りやまずおかしいので、また降りてよく調べて見た。するとなんとアルミ製の荷台が左側後輪付近のフレームとの接合部付近で折れ折れたタイヤのスポークに当たりカタカタという音をたてていたのだった。荷物を載して今まで走ってきたので、わずかな段差を越えた際の振動などにより繰り返し一点に荷重がかかり金属疲労を起こしたのだろう・・・・。このままでは当然走ることが出来ないので簡単な応急処置をして自転車屋さんを探すべくゆっくりと前に進んだ。すると500メートルもいかないうちに右手にホームセンター兼スーパーが見えてきた。なにか修理出来そうなものがあるかもしれないと思いホームセンターに寄ってみた。いろいろと物色してみたが一番手っ取り早く修理出来そうな方法は針金で折れた部分とフレームをぐるぐる巻きにして走るという方法だった・・・・。割と原始的だが、今日には実家に帰るから、最悪実家までもてばあとはゆっくり修理して再出発することが出来るので、すぐに太めの針金を買い、万が一の時のために持っていたペンチでぐるぐる巻きにしばって固定した。

 修理をおえ出発した。しばらくは様子を見てゆっくり走ったが特に問題はなさそうだったのですぐに今までのペースに戻した。もう愛媛県の西部の実家までは100キロ程で5〜6時間ほどの距離だ。西条市から西に進み家がだんだん少なくなると国道11号線は山間部に入る。このあたりは桜三里と呼ばれずっと桜が植えられてることで有名だが今は8月桜の花が咲いているはずはなく、トラックがじゃんじゃん走っているうえに路側帯が狭くとても走りにくい。何度も止まってトラックの通過を避けながら走った。へろへろになりながら坂を登り峠の排気ガスが充満したトンネルを抜けると、下り坂で遙か彼方には松山の市街地が見えた。

 今日の目的地は松山の西の方へ40キロ程行った内子町にある実家だ。普段実家から松山方面へ向かうときは、国道56号線を通るのだが、国道56号線には途中犬寄トンネルという1キロ程の交通量の多いトンネルがあり自転車ではあまり通りたくない。そのために国道33号線、国道379号線を南下することにしていた。

 実はこのルート、高校生の頃に一度自転車で走ったことがある。高校で自転車で世界一周をした人の講演を聴きあこがれて自転車で遠出しようと日帰りで実家から松山まで走ったときのルートの一部で(ただしそのときは逆方向に走った)、今このように旅をしている原点のルートと言えるかもしれない。

 国道379号線に入ると坂が急になり一車線の箇所も出てくる。交通量が極めて少ないためにふらふらと坂を登るが実家を前にしてかなり嫌になってくるが、ここでふんばれば暖かいご飯とお風呂が待っている・・・・(^^;)なんとか峠を乗り越え、下り坂になった。途中の道の駅「ひろた」で休憩を取った。地元のおっちゃんに話かけられたので、日本縦断をしていることと、実家がすぐ近くの内子町であることを告げると一瞬固まっていたがとっても激励してくれ嬉しかった。

 ジュースを飲みしばらく休憩し出発した。ここから実家までは20キロもないはずでほぼ下り坂のはずなので一時間足らずでいけると思うので、もう休憩なしで走ろうと決めた。広田村、小田町を抜け10キロ程で実家のある内子町に入った。内子町に入ったあたりは、実家にいるときはほとんど来なかった地域だが、小学校や中学校の校区で同窓生も住んだいた。しばらくは1車線の道が続くが2車線で歩道付きの道になりしばらくすると右手に通っていた小学校、そして左手に通っていた中学校が見えてきた。なつかしさがこみ上げまだ日本縦断においては通過点にしか過ぎないのだけれどもうゴールが近いような感慨にふけってしまう。小学校の通学路を通り実家に向かった。

実家はすぐに見えてきた、家の前の20メートル程の坂を一気に登るとやっと着いた・・・。

本日の走行距離152.4キロ 宗谷岬からの距離2277.7キロ